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ちょうさんのがははは・・日記

 いらっしゃーい!!疲れた人の心に 潤いをでー。  生きることをたのしまにゃーね。だもんで 精一杯 明るく楽しくいきるがでー。つらいことも くるしいことも わらいで ふっとばそうかいねー。
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04.26.01:33

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  • 04/26/01:33

12.18.22:46

たたかれるこころ、はいあがれこころ・・。

 こん○○は!!長一郎 こと ちょうさんですぞね。ちと だれかさんたちへの応援歌かな・・。


戦う心、忍ぶ心、押して忍ぶ心。ながされるこころ、翻弄されるこころ・・。自分自身のないこころ・・・。周りにもてあそばれるこころ・・。戦っても闘っても 勝てなくても あきらめたらそこでひとのこころは死んでしまうのでは・・。


わたしよりもっと悲惨な人達もおいでることも知っていますし、そういう仲間も居ました。


 幼いころから 貧乏で 山の中の田舎で暮らしていくことができずに 私が ひとつになる前に リヤカーで かなりはなれ たお町に家族みんなでおのぼりさんのごとくでてきたわけじゃねー・・。じいさんは寝たきりで 親父は 肺がんと誤診されて しばらく仕事もできず・・。誤 診とわかったあとも なにもなく蓄えもなく 最初にすんだのが 絵に書いたような屋根裏部屋の三角の部分の部屋に一年ほど住んでいた記憶があります・・。
そのあと すんでいたところは 結構大きな家と子供ながらにおもっていたのですが 何十年後にみた駐車場の片隅で つえかけていたその家は ほんとにウサギ小屋でした・・。家ではなかったですね・・。
その家に ねたきりの爺さんとわたしが居り。親父は県下を知りまわって大工の仕事に奔走・・。お袋はすこしはなれた木工所で仕事・・。木工所のおがくずの中がわたしの昼寝の場所でした。

おふくろと爺さんとわたしのさんにんのときは くいものが少なくても それは幸せな時間でした。二年ぐらいして あるときから親父が豹変しはじめまし た。酒をのんでとにかく悪い酒で大声だすはあばれる・ものはこわす。手当たり次第に私やお袋めがけておもいっきり放り投げる・・。それを片付けようとすると 足で私たちを蹴る殴る。いつも私とお袋が殴られていました。お袋は私がむかっていこうとするのをとめながら 私がなぐられるのをかばうので 私の何倍も傷 ついていたとおもいます。足とか手かいろんなところに青あざがたえなかったですね・・。わたしもからだじゅう傷だらけでしたけど危険なところは お袋のお かげで怪我せずすごせたようで・・。

おさない子供心に なんで 毎日意味もなくなぐられんといかんがでーって お袋によくきいたことがあります・・。そのときいつも おふくろはかなしそう な顔をして おとうちゃんは ほんまはえいひとながやけんど いまは病気ながでーって ほやきに がまんしーよーって 幼いわたしにいうとりましたね。で も なぐられるたびに なにもわるいことしてないのになんでやって いつも おもうとりましたね。
晩飯が そらを飛ぶ・・。ちゃぶ台がひっくりかえる、あついお茶が湯気がでながらころがる・・。ひどいときは お袋とわたしは 暗い夜の闇にでて 親父 があばれつかれて 静まるのをまっていました・・。そして 寝たころに またそおっと家の中にもどって ちらかったのを片付ける・・そんな毎日でした。

毎日毎日殺されるかもしれないと思いながらいきてきました・・。あまりにひどいときは お袋と一緒に 実家にかえったのですが・・。親父が弟と一緒に田 舎にあばれこんできて・・。おおあばれ・・。近くの赤犬は こいつはうまいぞってたべられたそうで・・。そこで またまた こっぴどくなぐられて ひこずるように無理やり連れ帰られましたね。そういうことが何度もありました・・。

私が一人のときにも よくなぐられていましたけど。わたしは そういう理不尽なものにまけるのが嫌いだったようで、無理やりなんかさせられそうになると 殴られても 絶対にいうことをきかないもので よけいに強い力でがんがんなぐられつづけていました。なぐられることには ある程度なれてくると我慢できた のですが・・。悪いことをしてもいないのに なぐられて それをあたかも私がわるいように言われること自体に腹が立ちそれをどうすることもできない自分達 にも腹がたっていました・・。どうしても 我慢できないときは うおーっと 声をあげて なぐられている手をふりはらって 家の外に飛び出して だだっと 駆け出して 大人が絶対にはいれない家と家とのせまい隙間に からだをいれて 奥のほうにはいって 時間のたつのをくらいその隙間で 過ごしていまし た・・。ある意味わたしのかくれ部屋みたいなものだったのかも・・。

そういう毎日の暴力が私が中学のころは余計にひどくなっていましたねー・・。無抵抗のわたしをがんがん毎日殴り続けていましたからね。


私が グレたりせずに わりとまっすぐ(かなりかわりものではあるのかもしれませんが)いられるのは 暴力にまけて 親父の不当ないいなりになるのは絶 対に ゆるせないことだったのです。それをするくらいなら死んだほうがましくらいにそのころの私はおもっていたみたいですね・・。

多くの子供たちが 親御さんの理由なき暴力とか暴言とかでくるしめられたりしていると おもいます・・。

みんなそれぞれ状況がちがうので おんなじようにはいかないのでしょうが・・。私の場合は 聞けないことは きちんと殴られても これはおかしいぞって 親父にがんというてました・・。

小学校の後半から 現場にいけるときは大人に混じって 高所で仕事したりしていました・・。ほんとは だめですからね。中学校では 新聞配達もしなが ら・・。ただ このままでは 怒りが爆発して親父をころしてしまうかもって 思うようになって・・。親に手を出したら終わりだと自分ではおもってたので  中学をでて親元をはなれて 自分で働きながら学校にいきました・・。

あんまりおさないときの思いがあるので社会にでても しばらくは 力でおしてくるひとには ものすごく反発をしていましたね・・。結局がんばりすぎて からだもこわしたり 心もこわしたりするのですけどね・・。

我慢して 生きるのも それはそれで 価値はあるのでしょうけど・・。可能であるなら その貴重な命の時間ともいえるあなたが生きているこの時間をあな たの幸せのために使わずして なんのためにいきているのでしょうや・・。子供のため だれかのために犠牲になったとしても 本当にあなたはそれで幸せなの ですか・・。本気の心に問う・・。あなたの生き様をご自分のこころに問いかけて 悔いはありやなしや・・・。

今からでも おそくないから こころを削って いきるはやめてください・・。削られたこころは もどらないのですから・・。深く傷ついて また なおったと思っても癒されるのは 遠い未来でも無理かも・・。それはあなた自身が一番しっているとおもわれ・・・・。

一度しかない人生ですから 死ぬときに 精一杯いきたよっていえるのか 後悔しまくりで いきるのか・・。さてさて・・。

わたしは からだが こわれ こころが 壊れたとき いろんな人に親身にたすけてもらって今があります・・。だから 後悔しないように ある意味まわり には迷惑をかけるのかもしれませんが 精一杯自分のためにいきていきたいなとおもいます・・。それまで 人のためばかりにいきてきましたからね・・。とい いつつ 今もおんなじかもしれませんが・・。

すぐには むつかしいかもしれませんが そういう気持ちをもたなくては 実現しないのです・・。無理とあきらめて こころを閉ざしてしまったら それから まえには あゆめなくなります。

そして もし こころが いま ぼろぼろでしたら とにかくこころを休めること それが一番・・。からだも無理がききにくいけど こころはもっとだめなんだよー・・。無理したら もろくこわれちゃいます・・。砂の城のように・・。


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